2024年 ゼミ沖縄訪問~基地/戦争と福祉を考える

 2024年3月13日・14日・15日に鈴木ゼミ3回生のうち沖縄訪問を希望する5名と沖縄の基地や戦跡を訪れ、琉大の学生や障害当事者団体との交流を行うフィールドトリップをおこないました。私が研究している沖縄のフィールドに学生たちと共に行き、基地や戦争、福祉や障害というテーマで皆で考え、語り合いました。もともとは、学生1名からの「沖縄に連れて行ってほしい!」という強い要望にかなえる形で、今回のプログラムを企画しました。私は、社会福祉は戦争/平和の問題と関連させて考えることが重要だと思っていて、沖縄やパレスチナとの関わりを重視してきました。このため、学生から「沖縄から学びたい」という思いを聞けたことは大変嬉しいことでした。

1.基地や戦跡の訪問

 13日と14日の基地や戦跡の訪問は、日本基督教団所属で南城市佐敷教会の牧師をされている金井創さんに案内役をお願いしました。金井さんは長年、辺野古の基地建設への抗議活動を行っている方で、「不屈」という抗議船の船長をされております。沖縄に来られる前には、明治学院大学の教会牧師もされていて、このときから学生たちと共に沖縄でのフィールドワークをされておりました。
 このようなフィールドトリップとなると、どうしても重い空気になりますが、基地や戦跡をめぐるだけではなく、沖縄の自然や食を満喫できる旅ともなり、よく学び、よく食べ、よく語り合う、楽しい旅になりました。金井さんは、抗議活動を広げる上で重要なことは二つあると話しておりました。一つは、住民主体の運動となること。もう一つは、楽しむこと、だということでした。まさに今回の旅は、学生一人ひとりの要望に応え、楽しく学べる旅となり、学生たちも非常に満足した時間となりました。 

写真:海保によってカヌー隊のメンバーが岸部
   まで連れていかれる様子。

 辺野古では、基地建設の現場で抗議活動をする人々の活動を見させていただきました。海上行動チームのカヌーのメンバーが海上保安庁に拿捕され、浜辺までつれていかれ、解放されると再びすぐにカヌーで抗議活動に向う光景をみました。金井さんのお話では、このときにメンバーと海保とがコミュニケーションをとることが重要だということでした。メンバーから基地の問題について説明され、理解を示す海保関係者もいるそうです。中にはメンバーから説得され、海保を辞め、世界を旅することを決めた人もいたとのことでした。海保も人の命を守ることを専門とするプロであり、抗議活動をするメンバーも人の命を守るために活動をしています。両者は同じものを大切にしているのにも関わらず、政治によって分断され、対立させられていること自体が不幸としか言いようがありません。

写真:金井さんが船長を務める「不屈」。毎週この船を
   お一人で海に出し、活動をしているという。


 金井さんに、なぜ「不屈」の船長として抗議活動をするのかと尋ねると、「命の問題だから」とお話されました。つまり、辺野古に基地が作られることによって戦争が起こり、沖縄の人々が犠牲になると共に、他者の命を奪うことになるために、断固として基地建設に反対するということでした。辺野古での近年の抗議活動のあり方も変わってきているとお話されました。かつては男性中心で、ベテランの活動家が活動をリードしたため、内部でパワハラなどの問題があったとのことでした。現在は、女性活動家がリーダーとなり、活動方針を決める際にも民主的に決められるようになったのことでした。こうした運動団体の変遷は障害者団体にも見られており、私にとっては大変興味深いお話でした。

 辺野古の後は、嘉手納基地や普天間基地も訪問し、周辺の住民に騒音被害や環境汚染といった問題が生じていることをお話していただきました。その後、「チビチリガマ」と「シムクガマ」を訪問し、前者は、ここから出ると殺されると恐れ、結局集団自決の方が多くいた 一方、後者は、ハワイ移民帰りの比嘉平治さんと比嘉平三さんの二人が米軍と話し、避難してる人々をなだめて投降し、多くの人々が助かったということでした。リーダーとなる人の考え方によって、命が助かったり、奪われたりすること。このような現象は民間だけではなく、軍隊でも起こっていたことをお話いただきました。
 この他、ひめゆりの塔、平和記念公園、魂魄の塔、轟壕などを訪問しました。

写真:シムクガマで金井さんから説明を受ける学生たち

 辺野古の新基地建設に対して沖縄県民の多くが反対しているにも関わらず、政府のリーダーシップによってその声が封じられているという構造は、戦時中の状況と本質的な変化はないということを学生たちと話してきました。学生たちは、沖縄の民衆が過去、そして、現在において強いられてきた現実を改めて知ることとなり愕然とすると共に、日本の政治や外交について改めて考えたいと語っていました。金井さんは、辺野古やチビチリガマを考えることは、自分たちの足元を改めて考え直すことだと語っていました。今の政治のあり方や私たちの生き方を問い直すこと。このことを沖縄の基地や戦跡を通して改めて考えさせられました。基地や戦争の問題を考えながらも、沖縄の美しい自然を満喫し、美味しい食べ物を皆で食べながら語り合い、とても楽しい旅になりました。

写真:新原(みいばる)ビーチにて。琉球の創成神である女神「アマミキヨ」
   が久高島から渡ってきた場所として大切にされている浜辺。学生の皆さん
   帰りたくないと言うほど、穏やかで静かな時間の流れを感じました。

写真:うしお居酒屋にて。南城市佐敷の地元の人が知る名店。
   安くて美味しい沖縄料理が食べられます。

2.琉球大学との交流

 15日の午前中は、私が勤務してきた琉球大学の教員や学生の皆様と交流する機会をもちました。最初に、私が大変お世話になった水野良也先生と田中将太先生と懇談しました。田中先生からは沖縄県内の貧困家庭の現状やご自身が関わっているフードバンクの実践についてお話していただきました。フードバンクの実践をしていくなかで、地域間の格差があることを痛感されたということでした。
 水野先生は同志社大学社会福祉学科で長年教員をされてい た黒木保博先生のゼミ1期生の方です。水野先生からは、沖縄県で長年実践してこられた刑務所でのSSTの実践などについてお話いただきました。刑務所に服役する青少年たちは家庭環境が非常に悪いため、こうした環境ゆえに罪を犯さざるを得ない状況に置かれているということでした。このため、福祉は事態が悪化する前にできるだけ早期に介入し、予防的に介入することが重要だと述べられていました。さらに、基地があることによって、雇用が生まれず、貧困問題が生じているということもお話されました。基地問題と福祉課題が関連して生じていることも沖縄を考えるときには重要だということでした。

写真:水野先生と田中先生と懇談する学生たち

 その後、水野先生や田中先生の教え子である福祉コースの3年生の学生4名と交流しました。学生同士のみで語りあい、お互いの自己紹介、自由時間の過ごし方や趣味、実習の内容、就活の取り組み、将来についてシェアしていました。この中で、基地のことについての質問がだされました。辺野古の新基地建設についてどのように思うのか、辺野古を訪問することがあるかなどでした。

写真:琉大生と同志社生とが語り合う様子

 琉大生からは、基地は反対したくとも、それで仕事をしている人もいるため、この話題自体が話しづらいということが話されました。基地問題に明確に反対して抗議活動をしている学生もいるが、このような人たちは「過激派」として距離が置かれていることも話されました。このような感想は、私が琉大にいたときに、学生たちから言われたことでもありました。教員同士でも話題にすることが難しいということも聞いております。それゆえに、当事者に問題を押しつけるのではなく、本土の人たちが積極的に考えることが重要だと改めて思いました。

写真:琉大学生とゼミ生たち

 京都と沖縄で文化や歴史が異なる地域で暮らし育った若者同士、交流することの面白さを改めて感じました。若者として将来への様々な夢をもちながらも不安があることや、現在の政治や社会への問題意識は地域を超えて共感されるものでした。今後も互いに何らかの形でつながることがあればと思いました。

3.自立生活センター「イルカ」との交流

 15日の午後から夜にかけて、自立生活センター・イルカを訪問し、当事者や支援者の皆様と交流しました。イルカは私が琉大勤務時代から親しくしている障害当事者団体であり、一緒に、カナダのインクルーシブ教育の現場を訪問した大切な仲間です。私が大切にしている人たちと学生たちとが交流する機会をもてたことを大変うれしく思います。琉大時代の私の教え子も二人、イルカで働いていて、この学生たちとゼミ生たちとが交流できたのも大変良かったと思います。

写真:イルカのメンバーから説明を受ける学生たち


 最初にイルカの事務局長の「まるこさん」(通称)からイルカの設立経緯や取り組みについてお話をしていただきました。イルカの初代代表である新門登さんの沖縄病院・筋ジス病棟からの退院支援の取り組みから活動が始まり、県内で重度障害者の自立生活の支援やバリアフリーを推進する取り組みを行なってきたことについて説明していただきました。興味深いのは、イルカにはGMという仕組みがあるということでした。つまり、一人ひとりの当事者にメンターのような存在として当事者がついており、これがGMとよばれています。
 通常の当事者の意思決定支援の場面では、当事者と支援者との二者関係で物事が決められることが多いと思いますが、イルカでは、健常者である支援者はGMにも相談することになっております。この結果、当事者主導の意思決定が担保されます。私の琉大時代の教え子の上原香さんも、無意識に当事者の意向に関わりなく支援を進めたことがあり、GMのまるこさんから注意を受け、ハッとさせられたと話しておりました。当事者主導性を担保するためにどのような仕組みを作るべきか。現在の国の意思決定支援の議論では、このような論点はほとんど提示されていないので、イルカから学ぶべきことは多いと感じました。
 その後、イルカのメンバーと飲み会、二次会と朝3時まで飲み、語り合い、参加した学生たちも大満足の時間を過ごすことができました。イルカの人たちは権利意識が高く活動的である一方、どこか柔らかく、どんな人々も包み込むような大らかさがあるといつも感じます。誰もが気兼ねなく、その場を共有できる、包まれるような感覚があるように思います。学生たちもこうした雰囲気にとても感銘を受けたようで、夏休みに是非バイトをさせてほしいという学生が出て来るほどでした。

写真:イルカのメンバーと飲みながら、
   翌朝3時過ぎまで語り合いました。

 今回は、辺野古から始まり、基地や戦跡、琉球大学との交流、そして最後は障害当事者団体のイルカで終わるという旅になりました。基地や戦争の問題と、福祉や障害の問題を関連させて考えるということは授業では行うことが難しい取り組みでした。沖縄という場に来るからこそ、考えられるテーマであり、私たちは基地や戦争の問題を通してこそ、福祉や障害について考えることができるということを改めて教えて頂きました。学生たちからは、「沖縄訪問を定例化してほしい!」という希望をお話いただきました。大変嬉しいことです。是非、また、このような機会を作り、平和と福祉というテーマで考えることを行ない続けたいと思いました。

 このたび、様々な人たちのご協力によって充実したフィールドトリップを実現させることができました。金井さん、琉大の先生方や学生の皆様、イルカの皆様には改めて感謝申し上げます。また、「沖縄に行きたい」という希望を伝えてくれたゼミの学生の皆様にも感謝申し上げます。沖縄を通して、様々な人と出会い、これほどまでに充実した教育の実践を行えることを私自身も学ぶことができました。沖縄の人々のためにこれからも学生たちとと共に考え続けたいと思います。ありがとうございました。

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